自己決定の尊重

「ほら、◯◯って言ったでしょ?」
というのは子供の後悔に続く、
自己決定の横取りです。

「こどもの心のコーチング」より

子供自身に後悔させる。
子供自身に葛藤させる。
子供自身で答えを出させる。

とても難しいけれど、
子供を1人の人間として尊重する、
そのことの大事さを学んだ。

たとえば先生が、
たとえば親御さんが、

自分は人として完成している

その自分が出す決定こそ最適解

というようなことを
無意識下で思ってしまっていると、
子供や生徒の考えに
丁寧に耳を傾けられなくなってしまう。

全て判断ミス、
全て言い訳だと考えて、
答えありきで話を聞いてしまう。

すると子供は萎縮してしまい、
(この人には何を言っても
 自分を分かろうとはしてくれない)
と判断し、
心のシャッターは降りてしまう。

本音を隠し、
腹の内にストレスを溜め込む。

「だって!」
「でも!」
という言葉を大人側が
反射的に封じてしまうと
本心は、深く深く潜っていく。

相手を「子供=未熟」
と自動的に見做してしまい、
子供の判断は間違っている
子供の決定も誤っている
と決めつけてしまえば、
それは
「子供」を子供扱いし、
結果的にさらに思考力の低い子供
にしてしまう。

「子供」を1人の人間として
尊重することができれば、
幾重にも絡まってしまった糸が
少しずつ少しずつ
ほどけていくのだと思う。

先生と生徒は別の人間であり、
親御さんと子供もまた別の人間である。

先生の意見、経験が
必ず正しいわけでもないし、
親御さんのそれもまた同様である。

何か大人側が
これは問題だ!
と思ったときも、

「どうしてそう思ったの?
 否定しないし、
 急がせもしないから、
 思ってること
 ゆっくり話して欲しい。」

「なるほど、
 そう考えてのことだったんだね。」

「話してくれてありがとう。
 話が聞けてよかったよ。」

と丁寧に傾聴したい。

先生や親の立場から
アドバイスをするなら、
「先生の経験上での話なんだけど、」
「お母さん実はこうやって
 失敗しちゃったことがあってね、」
というふうに前置きをして
こちらの発言こそが最適解である
という印象を薄める必要がある。

ただでさえ、
強い大人→弱い子供
という立ち位置だから。

大人も人間だから瞬間的に
イラっとしたり、
カッとなることがある。

けどその感情のまま子供にぶつけて
こちらの憂さを晴らしてしまえば、
こちらの伝えたいことも正しく伝わらず、
また子供側から
ただ反感を持たれるだけになってしまう。

(そんなの間違ってる!)
と反射的に決めつけるのではなく、

(どうしてそうしちゃったのかな?)
と考え、
その行動に至った
理由や考えを知りたい、
と思えれば、
感情的にでなく冷静に傾聴できる。

大人側も成長し変わろうとしているか、
少しでも歩み寄ろうとしているか、
子供達は、見ている。